鉄鋼王アンドリュー・カーネギーが買収したホームステッド鋼製レールエ場は、組合が強く、1892年4月4日、カーネギーは、工場支配人のヘンリー・フリックに、組合員は雇用しない旨の通告をおこなった。これは、賃金切り下げへの布石だった。
ところが、組合員に情け容赦のないフリックはいきなり、賃金切り下げを受け入れるかどうか回答せよ、と組合員に通告したのだ。当然、組合員は拒否。一部の組合員が工場を閉鎖したうえたてこもった。
それにたいして、フリックは、警備員300人を工場に送りこみ、反対する組合員と、ピストルのほか、ダイナマイトまで使ってはげしい闘いを展開した。こんな手荒なやり方が世間から批判されないはずはない。世論は当初から組合側に同情的で、フリックを非難した。
ところがそんな矢先、組合の味方を自称するポーランド移民が、フリックをピストルで撃って重傷を負わせる、という事件が起きた。
フリックはこれにたいし、血まみれになりながらも応戦、気骨のあるところをみせた。この事件がきっかけになり、こんどは世論が組合主義に反発、逆にフリックを勇気があると絶賛したのである。世論なんてじつにいいかげんなもの。悪玉を善玉に逆転評価することなど朝飯前なのだ。
その後、この事件をきっかけにして、アメリカの鉄鋼労働組合は「冬の時代」を迎えてしまうのである。

スポンサードリンク
スポンサードリンク