幕末の動乱のなか、上野の山を舞台にくり広げられた彰義(しょうぎ)隊と官軍の戦いは、みごとな逆転劇として後世まで語りつがれている。
当時、江戸では彰義隊士がひんぱんに官軍の兵士を殺傷していた。業を煮やした官軍は、彰義隊をいっせいに討伐する方針を固めた。
決行の日は慶応4年(1868)5月15日、薩長をはじめとする官軍諸藩の兵士たちは、上野の山に陣どる3000とも4000ともいわれる彰義隊への攻撃を開始した。
戦闘は激烈をきわめ、両軍とも一進一退の攻防。1万8000と数のうえでは圧倒的に優位を誇る官軍にたいして、彰義隊は一歩も引かない。それどころか、かえって官軍を圧倒するほどの勢いをみせていたのである。
だが、ここで戦局を一変させるような事態が起こった。それは大砲による砲撃である。官軍側の佐賀藩が誇るアームストロング砲が本郷台から砲撃を開始。
アームストロング砲の長型弾はすさまじい破壊力で彰義隊の陣地をメチャメチャに破壊した。官軍側はその機に乗じて一気に攻めこみ、勝利を決定づけたのであった。
こうして戦闘はたったの一日で終幕を迎えたのである。

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