学問の神様として崇められている菅原道真。彼の一生は「異例の昇進」ののち「突然の左遷」と波乱に満ちたものだった。
道真は、祖父、父など代々学者の家のうまれで、朝廷政治の中枢人物となるべき身分ではなかった。ところが、藤原氏以外からの人材の登用を考えていた宇多天皇が、関白藤原基経(もとつね)の死をきっかけに、彼を大抜擢したのである。
宇多天皇は道真を厚遇し、彼もまた、天皇の期待によくこたえた。こうして道真は、蔵人頭から右大臣の座にまで昇りつめたのである。
しかし、昇進する者があれば、それを嫉む者がいるのが世の常。道真が登用されて以来、おもしろくなかったのが藤原基経の子の左大臣時平(ときひら)である。時平が仕組んだ策略により、901年、突如道真は太宰権帥(だざいごんのそち)として九州に左遷されてしまう。
時平の策略とはいわゆる「チクリ」。道真が娘婿の斉世(ときよ)親王と組んで天皇廃位をたくらんでいると醍醐天皇に訴えて、道真の左遷を実現させたのである。
道真はその恨みを晴らすこともできないまま、2年後に左遷先で病死した。華々しい大抜擢にくらべ、あまりにもあわれな幕切れだった。

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