平安時代中期の公卿藤原道兼は父兼家の命を受け、言葉たくみに天皇に退位を持ちかけ、もくろみどおり花山天皇を退位、出家させることに成功し、後釜に外戚の一条天皇を即位させた。
この功績があるため、父兼家の死後、摂政の地位は当然自分に讓られるものと思って期待していたが、けっきょく、兄の道隆が摂政になることになった。
ところが、道隆は突然の病死。ポストは弟の道兼に讓られるのか、はたまた道隆の息子伊周(これちか)にか……と、世間の話題になった。
しかしこの時点では、道兼は伊周に一歩後れをとっていた。伊周はすでに内覧という正式ではないが、実質的には関白に準じた役職にあったからだ。
父親の後押しで得た地位にある伊周が絶対有利とみられていたのに、驚いたことに関白の宣旨(せんじ)は道兼におりた。道兼がこれに狂喜したのはいうまでもない。
しかし彼の喜びもつかのま、そのとき体調をくずしていた道兼の容態は朗報を聞いて悪化し、7日後にあっけなくあの世の人となってしまったのである。
なんとも気の毒な道兼だが、喜びのなかで死を迎えたのならそれも本望か……。

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