紀元前58〜51年にかけて、現在のフランス・北イタリアにあたる「ガリア」とよばれる地域で、壮絶な戦いがくり広げられた。
「ガリア戦争」とよばれ、当時ローマを治めていたガイウス・ユリウス・カエサル(シーザー・前100〜44)が指揮した戦いである。
さて、そのガリア戦争の経緯だが、前58年末から長年、ガリアヘの侵略をつづけてきたローマ軍にたいする反発は、ケルト人(ガリアの住民)のあいだで徐々に高まっていた。
そして前52年、ひとりのローマ商人が殺害されたことをきっかけに、ローマへの反乱は本格化していったのである。
当初ローマ軍は、ケルト人指導者を城壁内に包囲するなど有利に戦いをすすめていた。しかし、43の国家、24万人
にもおよぶ敵の救援軍に外側からとり囲まれ、絶体絶命のピンチにおちいってしまったのである。
敵は24万、それにたいしてローマ軍は半分以下の10万人である。しかし、このような窮地に立たされてもカエサルはあわてなかった。あらかじめ用意していた二重の保塁(ほうるい)を上手につかい、敵の攻撃に耐え、ついには相手を降伏させてしまったのである。
長年にわたるガリア戦争のなかで、もっとも厳しい場面におけるみごとな逆転劇であった。この輝かしい勝利によって、一都市国家であったローマは、世界帝国ローマへと大きな飛躍をはたし、カエサル自身も、名声をさらに高めていったのである。

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