明治時代になって、文明開化とともに日本人の科学者も世界から注目されるようになった。天文学者であった木村栄(ひさし)もそのひとりである。
彼が注目されたのはその学説のすばらしさだけでなく、それまでの学説をひっくり返したという経緯があるからだ。
国際測地学会では、1898年からその翌年にかけて、同一緯度上の6か所の地点で、組織的な地球の自転軸の変動の観測をおこなうことにした。
わが国でも、岩手県の水沢に観測所が設置され、木村栄は、そこの責任者に任命されたのだ。そして、各国の1年間のデータを集計してみたところ、水沢の観測値だけが大きな誤差を示したのである。
この事実に、関係者はマッ青になってしまった。国際測地学協会では、中央局長のアルブレヒトが、誤差の原因を日本の観測技術の未熟さによるものと断定。日本にとってはかなり屈辱的な出来事だったが、じつはこれが大きなまちがいで、協会でつかっていた式のほうがまちがっていたということがのちにわかったのである。
これを発見したのが木村で、彼は各地点のデータを詳細に分析し、従来用いられていた緯度変化の式に新しい補正項をくわえると、すべての地点の観測値が式と一致するということを発見した。
つまり、観測技術がおそまつなのではなく、つかわれていた式のほうがまちがっていることをみつけたのだ。この補正項は「Z項」もしくは発見者の名前をとって「木村項」とよばれるようになったが、このゴタゴタで日本が世界にたいして有名になったというのだから、なんとも皮肉な話である。

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