自由の国といったら、なんといってもアメリカである。かつての冷戦時代は、「自由のない国」から、多くの芸術家たちがアメリカに自由を求めて亡命した。
そんなアメリカではあるが、そのアメリカの最大の映画スターを国外追放しているのだから、不思議なものだ。
そのスターとは、チャールズ・チャップリン。
チャップリンが生まれたのは、イギリス。したがって、アメリカの国籍はもっていない。1913年にアメリカに渡り映画界に入ったが、その全盛期は意外と短い。1920年までに69本の作品を撮り、それが全盛期。その後は、しだいに作品は少なくなる。
チャップリンの人生に暗い影がつきまとうのは、1940年の『独裁者』あたりから。この作品はヒトラーを風刺した作品だったが、これが共産主義的傾向が強いと非難される。戦後になっての『殺人狂時代』になると、その非難の声はさらに高まり、そのときハリウッドをゆるがせていた、「赤狩り」の波にのみこまれ、追われるようにアメリカを去ることに。
1952年、「長期休暇だ」といって、でかけたのだが、アメリカへの再入国のビザは、ついにおりることはなかった。それならそれでいい、と開きなおったチャップリンは、スイスに住むことになった。もはや映画をつくる情熱も失われていたし、なによりも膨大な富を得て、それ以上働く必要もなかった。
その後、チャップリンは一度だけアメリカに帰っている。72年にアカデミー賞の特別賞が贈られたときだ。そのときは、かつて石もて追いはらったのがウソのように、アメリカじゅうがこの天才を拍手で迎えた。
チャップリンは、その後も悠々自適の「老後」をすごし、1977年のクリスマスの日に、スイスのレマン湖のほとりで88歳で亡くなった。

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