時は紀元前490年、ペルシャ帝国とギリシャ人とのあいだで「ペルシャ戦争」が起こった。
この戦争が勃発した背景には、ギリシャ勢が当時ペルシャの支配下にあったイオニアの起こした反乱に加担したということがあった。これが、ペルシャ王ダレイオスを激怒させ、開戦に大きく影響をあたえたようである。
ギリシャ勢であるアテナイ軍は、プラタイアイ人の援軍を得て兵力約1万、ペルシャ軍はアテナイ軍の3倍の約3万の兵力をもっていた。兵力だけをみれば断然、数の多いペルシャ軍のほうが有利である。
さて、戦況のほうもアテナイ軍は、マラトンに上陸したペルシャ軍の進路を封鎖するので精いっぱい。あいかわらず、ペルシャ軍に有利な状況がつづいていたのである。
アテナイ軍は、すくない兵力で効果的に戦うため知恵をしぼった。その結果、中央を薄く、左右両翼を通常の厚さにした密集隊戦列を考えだした。
そしてそのまま、相手の150メートル前後に接近し、駆け足で相手に肉迫する、はさみこみ戦法に出たのである。
中央に最強の兵力を配置したペルシャ軍はまんまとワナにはまった。最初は予想どおり、いとも簡単にアテナイ軍を押し返していたが、これにたいし、厚みのあるアテナイ軍の左右両翼の兵力がペルシャ軍の背後をついて、これを撃破。
この戦法がもののみごとにきまって、当初不利な戦況がつづいていたアテナイ軍は、ペルシャ軍のわずか3分の1の兵力で、大逆転の勝利をおさめたのだ。

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